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福田 勝さん 「I Love RAMONES」 著者
RAMONES FanClub JAPAN 会長/フォトグラファー yuki kuroyanagiさん
 
 「今でもエネルギーが下がりそうになると、ジョニーとの手紙を読み返す 私にとって人生のバイブルみたいなものだから」
福田 勝さん

今回ご登場いただいた「I Love RAMONES」の
著者yuki kuroyanagi(畔柳ユキさん=以下yukiさん)は、 ロックを中心にしたフォトグラファーにして、
RAMONES FanClub JAPAN会長。
私(大場)とは、フジロックフェスティバルの現場(苗場)でのご縁で10年以上のお付き合いになる。
20年以上にわたるラモーンズとのコミュニケーションは、同時にyukiさんの個人史でもあり、今も続くバンドへの愛情とエネルギーいっぱいの本書はまさにワンアンドオンリー。自ら「お墓まで持ってゆく」と語る渾身の一冊。 今も熱い、ラモーンズへの思いを伺ってみました。

インタビュー 大場 亮(ハーヴェストプランニング)
07年12月  東京都阿佐ヶ谷にて

株式会社リトルモア @2400+税
■ジョニーとは求めているものがぴったり合ったんだよね
この本を書けたのもジョニーとの出逢いだったと思う
大場 今日はよろしくお願いします。
yuki こちらこそよろしく。

大場

さっそくですが、この本の時系列でいうと、yukiさんは85年にニューヨークに行くわけですが、80年代はラモーンズにとってどんな時代でしたか?

yuki

85年というのはパンクシーンも終わってたし、しかもニューヨークのパンクシーンは少しインテリっぽい感じで、ラモーンズは違ってたよね。ラモーンズみたいに革ジャン着て音楽やってたシーンもなかったし、当時としてはセンサーショナルな存在ではあったけど、当事の彼らは既につまはじき状態だったと思います。

大場

そのニューヨークに行ったとき、ラッキーにもジョーイ・ラモーンに逢えたじゃないですか、あれがなかったらその後のファンとしてのテンションは違ってたんじゃないですか?

yuki う〜ん、もし逢えていなくてもお金をためてニューヨークに行ったこと、NYという街自体にインスパイヤーされたことが大きかったから、逢えなかったとしてもすごく大きなエネルギーにはなったと思う。 福田 勝さん

大場

そのころは音楽雑誌のデザイナーだった?

yuki そうそう。

大場

でも業界で音楽が純粋に好きな人でも、こんな風にバンドと仲良くなって 長く付き合える人っていないですよね

yuki なかなかいないと思う。この本が出てからみんなに言われるんだけど、 この本はやっぱりワンアンドオンリーで、こういう本を書こうと思っても書け る人いないよねっていわれる。内容もライターが普通にバンドについて 書いた本とも違うし、そこがすごいって言われるんだよね。

大場

そうですね、やっぱり業界の人たちはどんなにバンドが好きでも、ビジネスとして客観的にならざるを得ないじゃないですか?

yuki そうそう、だから他のレコード会社の人で本を読んでくれた人でも、心が洗われたとか、自分にもこんな時期があったことを思い出したっていってくれるのよ。だからレコード会社のディレクターとかいっぱいバンドと長くやってる人いるじゃない、でもビジネスとして始めちゃうと難しいところがあるよね。

大場

メンバーの中でもジョニーであったのが大きかったと・・。

yuki やっぱりこの本が書けたのも、バンドのリーダー的存在のジョニー・ラモーンっていう人と出逢ったこと自体が良かったというか、波長があったというかね。ジョーイやディーディーみたいなタイプだと難しいけど、ジョニーとは求めているものがぴったりあったんだよね。80年代ファンもいない中で、必死でバンドを続けなきゃいけないジョニー・ラモーンと、それを見たくてしょうがないっていうファンの間の、求める度合いの部分が合っていたんだ思う。
■フジロック・グリーンステージでラモーンメンバー追悼のセレモニー
/ジョーイが亡くなってラモーンズも無くなるんだなっている衝撃が

大場

さてフジロックの絡みからなんですが、ラモーンズの招聘元はスマッシュですよね。

yuki そう、残念なことに・・。 福田 勝さん

大場

なんで残念?

yuki

だってラモーンズが解散した次の年にフジが始まったからね。

大場

80年の最初の来日のときからすでにスマッシュだったんですか?

yuki

いやその時はね、麻田浩さんたちのトムズキャビンが招聘元でした。

大場

88年の2度目のときはスマッシュだったんですね?

yuki

そうです。

大場

それで記憶にあるのは、グリーンステージでラモーンズメンバーの追悼 のセレモニーがありましたよね、あれはジョニー・ラモーンだったんですか?

yuki

いやあれはジョーイなのよ。

大場

そうか、ということはあれが91年か92年ということですね?

yuki

そう、なにせあの後メンバーがディーディー、ジョニーと続けて亡くなってゆくわけだけど、ファーストインパクトといったらおかしいけど、ジョーイが亡くなってラモーンズはなくなっちゃうんだなという衝撃と、50歳だったからね、今考えてもそう遠くない年だから。

福田 勝さん

大場

ラモーンズ以前はルースターズなんかを聴いていたん ですよね。やはりフジで解散ライブがあり、そう考えると あれもスマッシュがらみ・・。

yuki

そうなのよ、だからスマッシュの人達にこの本を渡し た時にも「懐かしいね」っていう感じだよね。

大場

ラモーンズが解散してもう11年くらいになりわけですが、 ファンクラブを解散しようと思ったことは?

yuki 解散したんですよ、1回。一応バンドの意思にのっとり、
バンドがないのであれば止めましょうということで。

大場

それが復活することになったいきさつは?

yuki

96年にはやることがなくなったじゃない、本来は。でもラモーンズのニュースは途絶えることがなくって、レコード会社がベスト版を出すとか、ロックンロールの殿堂入りをするとか、なにせ話題は多くて。ジョニーとは文通していたんで、ラモーンズなかなか終わらないねネタが、みたいな感じで。それに下の世代のグリーンデイなんかがトリビュートアルバムを出したりとか、話題には事欠かない状況で、ファンも減らなかった。それまでのCDのライナーノーツに、ファンクラブの連絡先が書いてあって、それを見た新しいファンから連絡があったりとかで。それでジョニーに連絡したら、やってくれということで、じゃあもう1回やろうかということになったんです。

大場

じゃあ全く新しいファンからの問合せや入会も続いているわけですね?

yuki

そう、特にこの本が出たり、「It’s ALIVE」という過去の映像を集めたDVDが出たりとかいうタイミングで、問い合わせや入会がありますね。

■このバンドはいつでも自信に満ちている
/だからどんな場面でも浮かれることはないんだろうなって思った

大場

91年には会社を辞めて単身ニューヨークに行くじゃないですか、ジョニーはそういうユキさんの決意や、ラモーンズに対する思い入れを認めていたところがあるんじゃないですか?

yuki

でもジョニーの考え方は合理的で、ニューヨークへ行く前からやめたほうがいいと言ってたけど、気持ちは伝わってたと思う。

大場

ラモーンズというバンドは解散をめぐる場面でも、ジョニーの生き方というか美学に貫かれたバンドですよね。ところでジョニーは解散してからどんな暮らしだったんですか?

yuki

毎日?野球見てた。自分はこんなに働いたんだから、これからは自分のために時間を使うっていう考え方で、しかも極端なところにいるなって思うのは、その後マリリンン・マンソンや後輩バンドたちからリスペクトされるみたいな状況になると、人間浮かれるじゃない? でもそれが全くないんだよね。だからアルゼンチンみたいな状況の中でもね。

大場

あれは映像で見たけどまるで暴動ですよね!

yuki

すごいよね、車は追っかけて来るし、しかも7万人のサッカースタジアムで演るわけで。でもニューヨークに戻ってきたら、『ああこれで普通の生活に戻れる、じゃあおれタクシーで帰るわ』って帰っていくわけよ。そこがこのバンドを表しているっていうのは、やっぱりつらい時期が多かったからね。当時のローディーなんかに聞くと、マーシャルのアンプをステージにずらっと並べたときもね、音の出し方とかこんなんでいいのかって聞くんだって、そしたら『これでいい、これだったら大きいホールだろうが、ヨーロッパの砂利の上の駐車場みたいな所で演るんでも俺たちの音は出せる』と。要するにどんな酷い状況でもライブをやれる一定の環境設定のようなものをちゃんと持っている。このバンドはいつでも自信に満ちているんだよね。きっと本当にいろんな状況で演ってきているから、浮かれることはないんだろうなって思った。

大場

アルゼンチンはなんでラモーンズの人気が熱狂的だったんでしょう?

yuki

ラモーンズのメンバーに言わせると、パンクの始まりと一緒だっていうところだよね。当時のイギリスでいうと仕事がないとか、フラストレーションがたまっている状況で、そのはけ口がパンクだったんじゃないかな。その上音もシンプルでわかりやすいしね。

■人生において何に対してもギブアップしなくていいんだ
/「ジョニーはyukiっていう継承者を作り上げたよね」

大場

ラモーンズのバンドの歴史の中の複線というか、ジョニーとジョーイの確執みたいなことがあって、それにユキさんが気がつくタイミングがあるわけですけど、その辺からラモーンズとの関係も逆に深くなっていって、ユキさんも一緒に成長していったような感じがするんですけど。

yuki

そうなのかもしれない。20年間、ジョニー・ラモーンが私に言ってきたこと、してきた指示っていうのが、何が絶対的だったかっていうのは、後になって思うんだけど、当時は言われてもわかんないわけよ。でも今になってすごく影響されてるなっていうのは、何かに対してギブアップしなくいいんだ、自分の人生で。つまりダメでも成功しなくてもギブアップしなくいいんだ、がんばってやってるだけでそれはすごいことなんだと思ってるから。ラモーンズに関しても解散しているのにファンクラブやっていこうとか、応援してゆこうっていう気持ちがいつまで続く、みたいなことをいわれるけど、いつまで続くかは判らないけど続かないとは思ってないのよ。

大場

最後のほうはジョニーもyukiさんに気持ちを託したというか。

yuki

少し前誰かに言われたんだけど、ジョニー・ラモーンはyukiって いう継承者っていうか、そうい人間を作りあげたよね、自分が死んで もラモーンズをかっこ悪く見せない、価値を下げない、こういう風にバ ンドを見せてくれよっていうメッセージが伝えられる人間を一人残し て死んだよね、みたいなことを言われる。確かにジョニーの美学は 頭の中に刷り込まれていて、今回本を作るときも、絶対にラモーン ズのピンクの色はサードアルバムとおんなじ色にしてとか、そうじゃな きゃラモーンズじゃないとか、すごくこだわっちゃうのよね。この本は お墓に持ってく位大事だから。だからこの本をファンが買った後に 一生持っていられるくらい、かっこいい本にしてねってなるわけよ。 ジョニー・ラモーンはファンの前ではかっこ悪い姿は見せない、常に同じテンションでライブは手を抜かないとか、そこをそのまま受けついでいるから、

福田 勝さん
 

本を作るにしてもファンクラブをやるにして、もかっこ悪くやりたくないっていうのがあるわけで。映画の宣伝にかかわると時なんかでも、ラモーンズの価値が下がるような宣伝は絶対ダメっていうのが頭の中にある。これは完全に刷り込まれてるんだよね。だから女ジョニーとかいわれちゃうんだけど。今でも何かに対しエネルギーが下がりそうになったら、ジョニーとの手紙を読み返すんだよね。それって私にとって人生のバイブルみたいなことだから。他の説でいうとね、ジョニーはyukiに自分と同じものを見たって言うわけよ。頑固だし、嫌なことはやだっていうし、相手がジョニーでも悪態つくしね。でもきっと何か似たところがあったと思ってたから徹底的にやったんじゃないかな。マネージャーとかスタッフが、ジョニーが20年間も手紙を書き続けるなんてありえないっていうわけよ。しかも他の人からみれば単なるファンナわけで。だから君はスペシャルだったんだねって言われるけど。見事なまでに馬が合ったっていうか、いい出逢いをしたのかなって思う。

■『KEEP ON GOING!』
/あれを聞いたときこの人は死ぬまでジョニー・ラモーンだったなって思った

大場

先日公開した『TOO TOUGH TO DIE』のライブの時は、実際会場にいらっしゃったんですね。そのときジョニーは危篤だった?

yuki

そう3日後に亡くなってます。

大場

で無理やり帰ってきた、会わずに帰ってきたのは、やっぱりジョニーの美学を尊重したというか・・。

yuki

後悔してないよ、今でも。多分会いたいよね。でもジョニー・ラモーンだからね。髪も抜けちゃってたらしいし、自分では起きられなくなってたようだし。これは会っちゃいけないなって。千羽鶴を渡せなかったら大後悔していたと思うけど、渡せたしね。手紙も自分では読めなかったらしいけど、見舞いに来るお客さんにその度読ませたって聞いただけで、もういいいいかって思ったね。

大場

行かないことでyukiさんの気持ちが伝わったっていうこともあるのかな?

yuki

そうだといいね。きっとあいつは来ないだろうな、っていうのは伝わっていたかもね。たぶん納得してくれてたと思ってる。私はファンレターを渡したときから関係がスタートしてるから、ジョニーの美学は最後まで尊重したいと思ってた。あのライブの3日後に死ぬなんて、あそこまでがんばっていたとしか思えない。あの映像の中でロブゾンビが『ジョニー聞こえるか?

福田 勝さん

みんなヘイ・ホー・レッツ・ゴー!って言ってるよ』っていうじゃない。あれもわたしの中で確信する場面なんだけど、ジョニーは『KEEP GOING〜そのまま続けろ〜』って返事するんだよ。要するにステージを中断するとかいうのが大嫌いなんだよね。自分たちが70分ステージをやるときに邪魔するものがあるがやなわけよ。毎日同じテンションで同じステージをやらなきゃいけないから。それが彼らのポリシーだから。だからロブゾンビがステージ中に「聞こえるかい?」なんていっても『そのまま続けろ』って言ったときに、わぁでた!って感じ、いつもの指令だっていう感じだよね、死ぬ3日前なのに。あれを聞いたときに、この人は死ぬまでジョニー・ラモーンだったなって思った。あの時確信したよ。私がラッキーだと思ってるのは、長い間ジョーニーとコミュニケーションが取れていたこと、最後までね。しかも、彼も自分を出して仕事の悩みや人生観を話してくれたし。なかなかないと思う、20年もね。これは私にとっての宝だと今、思っています。

大場

今日は貴重なお話をありがとうございました。

yuki

こちらこそ。ありがとうございました。



インタビューを終えて
ラモーンズへの思いがyukiさんの「原点」になっていることを強く感じた。20年以上も前のことを調べるのに時間がかかったとの記述があるが、初めてのニューヨークや、中野サンプラザでの公演の様子などは、昨日のことのように生き生きと描かれている。そのあふれる思いの全ては本書にて。 ラモーンズファンならずとも必読の一冊です。もう一度、音楽に対する真剣な愛情を!
『TOO TOUGH TO DIE』DVD発売情報  2008年3月12日 発売開始! 
福田 勝さん

映画『END OF THE CENTURY』の衝撃から3年
   ……引き継がれたRAMONES魂がここに。 

004年9月12日ハリウッド・アヴァロン・シアター。闘病中のジョニー・ラモーンのための、それぞれの想いを込めた渾身のライヴ...      
今後絶対にあり得ないであろう豪華メンバーによる、伝説のRAMONES結成30周年イベントがドキュメンタリー映画としてついに登場!!司会を務めるロブ・ゾンビ、いまやロック界の頂点に君臨するレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、LAパンクの重鎮Xのほかランシドのティム・アームストロング、バッド・レリジョンのブレット・ガーヴィッツ、パール・ジャムのエディ・ヴェダーにヘンリー・ロリンズ。錚々たる面々が「頑張れジョニー!」の気持ちを内に秘めてド迫力のラモーンズ・カヴァーを披露、そのわずか3日後、ジョニー・ラモーン衝撃の訃報が世界を駆け巡った。

キングレコード \4,179(税込み)
2006Plain Jane Productions, LLC



  福田 勝さん
yuki kuroyanagi(畔柳 ユキ)さんプロフィール
ラモーンズ公認のフォトグラファーとしてツアーに動向。メンバーに密着し、1991年東海岸ツアー、日本公演、アルゼンチン、北米ラパルーザ・ツアーなど96年のラストライブまでを追い続ける。また、メンバーの依頼を受け、93年に日本のファンクラブをスタート。ラモーンズ以外ではクラシックからジャズなど、ジャンルを問わず現場やCDジャケットの撮影で活躍中。日本のフェスティバルの草分け的存在 FUJI ROCK  FESTIVALには、伝説となっている第1回から全て参戦。                   
RAMONES FanClub JAPAN 公式サイト http://www.ramonesfanclubjapan.com/
  福田 勝さん
バンドプロフィール RAMONES (ラモーンズ)
1974年NYでデビューし世界中のパンクキッズに絶大な影響を与えたロックバンド。 革ジャンに破れたジーンズとスニーカーを身につけ、メンバー全員がラモーンと名乗る。 スリーコードのシンプルな楽曲はパンクというイメージが持つサウンドよりもサーフ・ミュージックやロックン・ロールに近い。後にムーブメントとなったロンドン・パンク誕生に大きな影響を与える。23年間変わらぬスタイルを貫き通したその姿勢は現在もジャンルを問わず多くのミュージシャンに支持されている。日本にも80年から95年の間に数回来日している。引退宣言後1996年に惜しまれつつも解散。2001年からオリジナルメンバー3人が次々に他界。その後も多くのミュージシャンのリスペクトを集め、ラモーンズの評価は今も高まっている。
RAMONES 公式サイト   http://www.ramones.com/




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